あんまり自分、変わってない。

最近、自分はあんまり変わってないと思う。 

最近、「自分は変わってない。」とボヤくのもよく聞く。

変わることについて意義を考えることはさておいて、少なくとも私の周囲の人はとりあえずは何かしらの行動や努力の結果として、「変わること」を捉えているように思える。 

 けど、結論から言えば、個人の心持ちの現れであるように思える。 変わってなくはないが、変わろうとした意気込みや思い切りを発揮したあとの爽快感や緊張からの解放を味わってないからだと、自分の直近の過去を回想して思った。 

今は少しカリキュラムが大変な時期で嫌でも勉強しなくてはならず、流されるように勉強しているからかもしれないが、変わってなくもないが、自分と周り(の評価とかのリアクション)とのズレを実感できていない。 

 でも、よくよく考えてみると、ただ単に周りに目を向けていないだけかもしれない。 

でも、失敗したときのリスクを怖がっているだけかもしれない。 

 そういえば、好きな人ができて、何もなく、もう一年が過ぎました。

やっぱジブリはいい↑↑

やっぱりジブリはいい!
いつも何かしら社会的メッセージをにおわせる宮崎作品。(と私は勝手に思っている)

 「風立ぬ」と「アリエッティ」を見た。

 個人的見解だが、”アリエッティ”-床下の小人ーは、人間のエゴティズムで絶滅した、もしくは、しかけている生物の象徴として描かれているように私は思う。 
 人間は数々の生き物と平等に連鎖した生態系のホンノ一部分にすぎないにも関わらず、あたかもピラミッドの頂点に君臨するがごとく、興味本位で、この家政婦のように小人を捕まえ、自分の損得で「泥棒」だの「害獣」だのと決めつけ、もともとの住みかから追いやってきた。

 現実の人間の所業、はラストシーン以上の哀愁だろう。
「床下の小人」「少しずつ食べ物を借りて生きている」というアリエッティが自ら言ったセリフは人間のエゴティズムが社会の深く根髄ていることを思わせて、とても苦しい思いがした。 
「それでも私たちは生きている!」をいうアリエッティのセリフは、とてもこの作品を印象づけるシーンではなかろうか。

 作画は水彩画を回しているような「まさにジブリ」で、小人の世界をリアル表現する設定がそこかしこにあって心踊った。  ティーを注ぐ時の水滴の描写は、小人サイズに大きくなっていて、小人にとって水の表面張力はこんなにでかいのか!と思ったり、大人が見ても、すごく感動する作品でした。

 

 風立ぬは、いろいろ言われているが、ただ単純にいい話だった。 ただ、「ただのいい人情話」をあのジブリの世界観で作り上げても、あまり見る側としてはもの足りなさを感じる。 

山本二三の背景を、また見たい。

 

 

解剖学の実習試験

 一年の解剖学の座学を終えると、次に実習試験が待っています。 一般的な「解剖」のイメージ通りの、ご献体を解剖して、アトラスで学んだ知識の実際を見る機会です。

 始まった初日は、みんな意外と平気な顔してこなしていて驚いたのを覚えています。

 皮切のときは、皮下脂肪も多く見えて、人体!!という感覚も強かったのですが、だんだんと開胸から臓器を学んだ後、下肢離断を過ぎたあたりになると、原型をほぼ失い、人体!!感は薄れてきました。 

 ただ、頭部離断を行った実習の日、最後に、内臓の抜けた肋骨の脇にアタマを置いてアルコールをかけたとき、今までで一番、ゾッとしました。

 そうした感覚を時々私は感じます。

 もくもくと剖出しつつも、実習後に話すと、やっぱりみんなそれぞれ、生々しい人体に驚くことがあるそうです。 

 多くの方は、神聖に、厳かに解剖を学生は行うべきだし、行っているとお思いになると思います。 万に一人ふざけた奴もいるかもしれませんが、実際みな真剣に取り組んでいます。 ただ、みんな人体であるというの実感を強く感じずにはいない(ようになる)と思います。 それはそれで正しくもあるし、不誠実でないと思います。 仕方ないこと、ということではなくて、神聖なトレーニングだと私は思います。 

 もしご献体をお考えの方がいたら、ぜひ解剖学実習の見学を近くの大学、もしくは後援会に提案なさって欲しいと思いました。 学生の様子を実際に見ることもできますし、学ぶ側の姿勢をより一層真摯にさせてくれるものと思います。

 話はずれますが(進みますが?!)、実習に対する態度も大事だとも思うのですが、はっきり言えば、この学科は特に試験結果が重要だと思うし、教える側も態度に問題なければ、点数のみを見ます。 とてもシビアです。(大学や教授にも依りますw) 理解すべきこと、知っておくべきことをマスターしていなければ、先生方は涙も流さず切り捨てます。 それは「患者の命を握る医師を自分たちが育て、送り出している」という責任感からです。 いくら真面目に?!授業受けようとも、自分でお勉強しなけりゃやってけない。 そんなことを実習試験の結果が返ってきた今、思う限りです。

寒い。 九州では文化祭シーズン。

九州二年目なんだけど一気に寒くなって、驚く。 関東育ちなんだけど、こんなにもガラッと変わるものなのかと思う。

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九州では、鹿児島と宮崎が今週、九大が来週文化祭らしい。 解剖実習後半まっただ中なのによくやるわ!と感心する。 

気のせいか、九州の大学生は、仲間内では、企画とかを起こし遂行するパワーがあるように思える。 前にしゃしゃり出ずに。 

 

 最近、忙しいからという理由で、学業以外のプライベートをさぼりがちのように思える。 「大変だから。」という陳腐な言い訳に胡坐かきすぎた自分が嫌になった。 軽く文化祭に参加して、すがすがしく楽しんで切り替えようと思う。

 周りに数名、文化祭(なんて?!)参加しないわ~という方々もいるが、行きたい旅先があるなら別だが、何となしにただ参加しないなんてなんて勿体ないんだろうとおもう。

いくつか、「大学生の時にしておくべき~」「二十代でやっておくべき~」という本もあって個人的に参考にしたこともあったが、二十年後の思い出として、どんなエピソードを思い描けたら幸せだろうかという視点も、大学生には大切なのではないかと思う。

ちなみに写真は夏に高野山で撮ったものです。 夏なのに紅葉。

僻地医療実習

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大学のパンフによく載っているカリキュラムだが、見学と観光が半々だった。 優しく歓迎されて、全部奢りで(汗)、いろいろ連れていってくださった。 実感を持って地域医療を将来の選択肢として考えられるようになったし、一つの医療の在り方として「地域医療」を見れた。 住民に近くあろうとするスタンスだからこそ、予防医学の最前線になりうるのではないかと考えた。 治療するのではなく、住民の人たちが健康に意識を向けるよう働くことの意義を実感できた。 自治医の人気が凄かったw 

ホスピタルクラウンの体験講習メモ

治療しようと考えたことはない。ただ楽しませようとしているだけ。

;楽しませる≠励ますこと

 

プロのクラウンでも病院でのパフォーマンスには戸惑う。

;ラテックスアレルギー、”How are you?”と言ってはダメ、親の事にふれてはダメ、など

 

ホスピタルクラウンの存在意義

短い時間でも、普段見ない人が、楽しませてくれる

 

手品をしてから診察に入る小児科の医師もいる

 

講習を受ければ、即興的なコミュニケーションができるようになるよ(講習の宣伝)

 

いくつかの手品と風船人形作りを覚えておくことをお勧め

 

「してあげてる」と考える医師ではなく、「何かしてもらってる」と思る医師になる

天然高分子と合成高分子

 

■合成高分子~混乱しがちな「付加重合による合成高分子」「縮合重合による熱可塑性樹脂」「熱硬化樹脂」を整理~用途・性質 (いろいろアル)

 

用途(性質

 (いろいろアル)

合成繊維

合成樹脂

合成ゴム

熱可塑性

熱硬化性

製法

 

付加重合

*¹

ビニル系、ビニリデン系、ポリテトラフルオロエチレン

 

ブタジエン、クロロプレンゴム、ブナN、ブナS

 

()重合

6, 6ナイロン

ポリエチレンテレフタラート

6-ナイロン(開環)

フェノール樹脂、尿素樹脂

グリプタル、メラミン樹脂

 

分子鎖の形状

一次元鎖状

三次元網目状

 

 

 

 

■天然高分子

 

天然高分子

天然繊維

天然樹脂

天然ゴム

 

木綿(植物)、絹(動物)

植物/動物/鉱物由来

イソプレン

 

 

 

合成樹脂…繊維(ひも)状に加工したもの

 

合成樹脂…合成高分子を固めて成形したもの

 

合成ゴム…天然ゴムの単量体(イソプレン)に似た単量体から合成される

 

*¹) ポリエステル → ビニール ; ひも・布<繊維>、袋<成形>

 

▽身の回りの人工物を見てみよう! 全部、「繊維」か「樹脂」か「ゴム」のどれかだ(驚)